そこで、お願いしてメディカルテントの中を見せてもらいました。凍傷・高山病・低体温・外傷に対応できるようにヒーター・固定具・救助器具と多くの資機材が用意されており、救急車や小さな診療所並みでした。

メディカルテント前に出される天気予報板

便を捨てれるクレパス、便は捨てないで持って下山すればオリジナルステッカーをもらえます
6月1日
休息
一日体を休める日となりました。寝たり・食べたりとのんびり過ごして4300mに順応します。私のSPO2は93と日頃の高所生活が良い結果となりました。
2日
10:20~19:00 2~3日天気が良いとの予報から、キャンプ4からハイキャンプへ移動
体力、高所順応の面からワンプッシュ方式を選択
核心はウエストバットレス、フィックスロープが張られておりユマールで通過できるので負担は少ない
5000の岩稜に出ると風が強くなり寒さが増した。
ゆっくりハイキャンプに到着。多くの部隊がキャンプをしていたが適当なキャンプスペースがなく風をよけるための雪壁作成をおこなった
テントを立てはじめるとポールを忘れてきたことに気付く
取りに行くにも時間も時間、イグルーを作るにも時間がかかる。
たまたまメンバーが持っていたストックを1本と張綱を使いテントを立てた

空間は狭いが寝ることは問題がなかった。雪壁を作り、快適を追求した寝具だったので耐えることができた。
3日
停滞
天気は快晴だが風速は30~40mほど。デナリの風速はMPH(マイル/時間)で表記されていた。
雪壁の作成等を行う
4日
停滞
3日同様、風が強くアタック不能
一旦降りるかどうかを話し合い、情報収集すると明日アタック日との情報があり、知り合った日本人のソロクライマーの方から食料と燃料(ソロクライマーの方が他の隊からもらった食料とガス缶(本人はガスヘッド持参無し))を分けてもらい翌日のアタックにかけることにした
5日
アタック
9:20~21:30
予定通りにアタック開始、デナリパスの通過中にメンバーの1名が遅れ始める。登り始めて2時間ほど経過すると北西から黒雲が流れて来て雪となる。
遠くで雷も聞こえ、各隊引き上げを始める。我々は5600mのコルまでいきどうするか考えることにした。それと同時に送れはじめていた1名が離脱し3名でのアタックとなった。
コルに到着すると前方のアメリカ隊も撤退を開始。アメリカ隊の撤退を待っていると雲が切れ始める。この日の予報は曇り、黒雲は遠くで雷が聞こえたが、稲光は無く継続する雷鳴もないことから2時間程度で通り過ぎると予想し10分程休憩しながら待っていると晴れ間が見え始めたので登山継続とした。
5700m付近に着くと快晴となり、雲もなくなり風向きも変わり登頂できると確信した。
しかし、ルートは雪で消え終始ノートレースでの行軍となった。
5900m、若干頭痛の高度障害が出始める。後方から10名程の隊が来ているのが遠くに確認ができた。
6000mフットボールフィールドでこの日の1番・2番の登頂者とすれ違った。共にソロだがザイルで結び協力して登ったとの事だった。

フットボールフィールドからデナリ山頂稜線と最後の雪壁
ゆっくりと高度を上げていく、急登の雪壁を超えると最後のリッジ上の稜線
稜線を歩き始めたところで雲がかかり北側から冷たい風と雪が吹き始めた。標高は6100mとなり足も重くなる。
広大なフットボールフィールドのトレースが消えないかと心配しながら山頂へ向かった。
一歩一歩と足を進める、とても長く感じたその時、T時の人工物が見えた。ベンチマークだ。

山頂のベンチマーク
6月5日 18:08 デナリ登頂
チームSMTHの3名がこの日3隊目の登頂となった
3人で抱き合い喜びを分かち合った。
リーダーとして難しい決断を迫られる事もあったが感無量だった。
山頂の風は強く、長居はできなかった。
登山は生きて帰ってこそ成功だと思う。登りの最中も下山のトレースの事を考えて登っていた。
ルートが消える前にフットボールフィールドを抜けたかったので写真を撮って撤退となった。
稜線を戻っていくとフットボールフィールドの奥に遠征隊が見えホッとした。
無事にフットボールフィールドを抜け、5600のコルまで戻ってきた。
下りの核心はデナリパスのトラバース
雪と風でトレースが埋まり何度か滑り落ちては後ろの仲間に止めてもらいながら下山した
こうして長いアタック日が終わった
ハイキャンプに戻ると仲良くなったアメリカ隊(アラスカガイド)のガイドが待っていてくれた
途中で離脱した仲間が凍傷になりケアをしてくれていた
アラスカガイドとレンジャーと話し合い、その日のうちにメディカルキャンプに降ろすこととした
休憩し、撤収を始めたが歩きはじめると登りや負荷のかかる動作で息切れを感じた
凍傷を負ったメンバーも同様の症状だった
高所での負荷のかかるアタック行動で軽度な肺水腫を起こしていると判断した
9時間かけてメディカルキャンプに戻り、事前に処方してもらっていた薬を使用し休息を取った
6日
休息
日をまたいだ行動と疲れのため休息とした。メンバーの凍傷はレンジャーに見てもらったところ大きな問題はなさそうとの事だったので自力下山となった。
夕方過ぎには肺水腫も良くなり動けるようになっていた。
7日
メディカルキャンプからLP
約一日かけてLPまで移動
早めの日程で修了したので食料があまり下山のソリが重く苦労した
キャンプ1で大蔵さん(植村直己さんの死後、デナリに気象観測装置を設置し13年間登っている方)のチームと会え写真を撮れた

8日
LP~TAT
LPで一夜を過ごし、朝八時に戻っていることをレンジャーに伝え搭乗待ちとなる
帰りのセスナの搭乗は早いもの順になり、我々は4台目と5台目で帰ることができた。
こうして12日間の長い遠征が終わった。
長いといっても標準16日の遠征から考えれば早く終了することができた。
何はともあれ天気とタイミングが上手く重なり登頂することができた。
クライマーとして大きな経験、成長ができた遠征だった。
願わくば全員で登頂したかったが、この厳しさも登山
今は多くの人の協力の元登れたことに感謝をしたい。
下山後
日程が10日余ったのでアラスカをキャンプで旅してきました。
アラスカで最も高いキャンプ場(5300m)と最も低いキャンプ場(0m)でキャンプをしてきました。
写真で紹介します。

タルキートナでステーキ

アラスカ鉄道

ムース

ワンダーレイクへバスで移動